20040110
番外編

Art, Culture, Salon


昨日帰宅途中の地下鉄の中で懐かしい絵を見た。

誰の絵だったか直ぐには思い出せなかったが上に書かれた【中村 彝】の名前に軽い驚きをおぼえた。
県美術館で展覧会が催されるとの事。なんでこの時期に中村彝(なかむら つね)なんだ? 
日本の近代絵画で黒田清輝や岸田劉生のようなメジャーな画家ならともかく美術史にも出てこないような画家の絵が何故?
僕の知る限り彼の展覧会が開かれた事なんて未だかつて無い。
懐かしさと同時についめぐりあわせのようなものを感じた。


去年の11月末 東京へ行った時、上野の西洋美術館で久しぶりにロダンの彫刻を見た。
かみさんにはロダンの話しかしなかったが、その時僕の頭の中にうかんでいたのは、ロダンの影響を受けた荻原守衛、高村光太郎、戸張孤雁、中原悌二郎らだった。
そこから連想ゲームよろしく、新宿中村屋、小説【安曇野】、そして臼井吉見と想いおこされた。
臼井吉見の事が気になり帰宅後ネットで調べてみたら、出生地の信州堀金村に彼の文学館が出来ているとの事。
文学界から抹殺されたものの、こうして地元が輩出した文学者として後世に語り継がれている事に少し安堵した。

当時僕は彫刻を介して先駆者達の記した書籍なども読みあさっていた。一種の書物連鎖により読書の範囲が拡がり吉見の主催する月刊誌【展望】も購読していた。
問題の【事故の顛末】も読んでいた筈だがどんな内容だったか全く記憶が無い。庭木の【いちい】がどこかに出てきたことだけが記憶に残っている。【いちい】から大正の文学誌【アララギ】や高山の一刀彫りを連想しそれだけが海馬の中に留まったのだろう。
であるから特に故人を誹謗中傷していたような記憶もない。もしあれば根っからのへそ曲がりの僕が、反感を抱き記憶として残っている筈である。
しかし吉見自身にモラルハザードが少し欠けていたであろう事も大いに推測できる。というのも代表作【安曇野】では「よくも中村屋が名誉毀損で訴訟しないものだ。」と思われる所が随所にあったからだ。いくら他人の口を使っているにせよ、安曇野が上梓されたのは黒光婦人の記憶が親族にまだ色濃く残っているであろう頃である。
こんな所にも、明治、大正、昭和と若き芸術家、文化人を応援し続けてきた、中村屋サロンの懐の深さが感じられる。
それに麻痺していた吉見にとって川端康成の遺族からの訴訟は晴天の霹靂だった事だろう。かたやノーベル賞作家、かたや初老にしてやっと文学界入りした知名度も低いマイナー作家。そしてノーベル賞作家の遺族にとっては、本人の自殺に心の整理もついていない時期。この時期での上梓。タイミング的にも最悪の時期だったのだろう。

訴訟に破れ、文壇から抹殺され、【展望】も廃刊。書店からは吉見の作品が消え、人々の記憶からも消え去ってしまった。
あの歳で人生最大の危機に遭遇した吉見はついに再起する事が出来なかったが、没後地元の人達の手により安住の地が与えられた事に私自身の心も安らぐ。

そんな事があったやさきにエロシェンコ像である。モデルとなった盲目のロシア人も中村屋のアトリエに通っていたのだ。
冒頭にも述べたが中村彝は決して名の売れた画家ではない。若くしての逝去ゆえ作品自体も少ない。作風はやはり時代の故か仏印象派の影響が大きく、個性に乏しい。
しかしながら彼の短い人生を思うとどうしても感情移入して作品を見てしまう。そしてそれを後世に残した事、特定美術館(倉敷の大原美術館、茨城県近代美術館)だけにせよ常設されている事で本人も本望だろうと思ってしまう。
それがどういう風の吹き回しか愛知県美術館に旅をしにくるとは?
今時の人達に受け入れられるだろうか? 興行費用はペイできるだろうか? つい余計な事を心配してしまう。

明治の息吹に溢れる時代、仙台の没落士族の娘がひとり上京し、失恋の後、信州出身の男に嫁ぎ一時安曇野に身をおく。
本人は都落ちの心境だっただろうが、田舎に来た若妻は叡智に溢れ、さぞ守衛達には眩しかったことだろう。
良が持ち込んだCultuerは村の若者達を触発し、芸術を求め単身アメリカに渡るという当時としては暴挙とも思えることを決行する。普通なら皆反対するような事にも拘らず、門出を祝い快く送り出す。・・・
今の時代でも躊躇するような事を、平気でやってのけるこの明治という時代が私は好きだ。
相馬夫妻が東京のはずれ新宿に中村屋を興してからは、そこを中心に多くの若者達がお互い影響しあい、芸術に、文化に、思想に、果ては革命運動(インドの)に突進んで行く。
経営学でマイケル・ポーター教授がいうところのクラスターが中村屋サロンに出来上がっていたのだろうと思う。経済でなく文化というジャンルで。

こんな場の空気を想像すると自分の姑息さ狡さに嫌気がさす。
幼い頃に餓えの恐怖を覚えてしまった者は、食えない夢よりもまず食べる事を優先してしまう。そのためいつも心の渇き、餓えにさいなまれる。結果、書物なり人の作品なりで心を癒したり、創作の真似事でお茶を濁したりする。

中村彝の著作【藝術の無限感】が倉庫にある筈。捜し出してもう一度読んでみよう。荻原守衛の【彫刻真髄】、中原悌二郎の???もあった筈。そして20代の頃の気概をもう一度奮い立たせてみよう。


2004年01月10日20時35分00秒



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