番外編
療養中につき昔話でも・・・乗鞍岳
山と云うにはメチャお気楽で、そのくせマルチパーパスに楽しませてくれる。
また小さなお子ちゃま連れでもバッチリ。・・・
そんなフィールドとしてぴったりなのが乗鞍岳です。
ご存知のとおり、今年からマイカーは乗入れ禁止となりましたが、バスかタクシーがあっちゅうまに畳平まで運んでくれます。
ここからなら登行時間も短く、天気さえ良ければ未就学児でも3000m峰を満喫できます。
3000m峰の味わい。・・・景色も当然ですが空気の爽やかさも大きなファクターです。
エアコンでは味わえない本当の高原の爽やかさ。決して鈴鹿では味わえないものです。
「鈴鹿には鈴鹿の良さがある。」よく耳にする言葉ですが、楽しさでは 鈴鹿≪本番 そして 鈴鹿=トレーニング という式が成立ってしまいます。
同じ山でも似て非なるもの。否、全くの別物と言ったほうが良いかもしれません。
あくまでも偏見ですが、所詮鈴鹿はトレーニングの場。町の延長。東山一万歩コースみたいなもの。
あの鮮烈な空気の味は 3000m の高みにまで上がらないと味わえません。
初めて私が3000m峰に接したのが乗鞍岳です。
就職してまもない頃、機械設置のため乗鞍の宇宙線研究所に行きました。
昼過ぎに着き、設置はその日の内に完了。後は遊び。翌日K教授に連れられ山頂まで散歩に出かけました。
シンチレータ(宇宙線を捕捉するセンサー)があちこちに設置してある五ノ池南側から、ぐるっと旭日岳西面を巻き権現池へ。そこから剣ヶ峰へ。
何もかもが新鮮で世の中にこんな別天地があるのかと甚く感動したものです。
私達が辿るところは道など無く歩き易いところをぬって行くというもので、周りには誰も居らず聞こえるのは風の囁きと己が足音のみ。そして透きとおった空気と真夏の日差し。
突然人が近付いてきて「ここは立入禁止です。」自然保護の監視員らしい。
「宇宙線研究所の者です。」とK先生が言うと手のひらを反したように態度が変わる。
どこの者だろうと立入禁止の所に入るのは良くないし、監視員自身が入っているというのも変だと思いましたが、叱られずに済んだので「まっ、いいか。」
こんなに簡単に来られる地上の楽園の存在と、こんなところで自然保護と向合っている人達の存在を、この時初めて知ったのでした。
この体験が3000m峰への憧れとなり、後々山にのめりこむきっかけになりました。
本格的に山へ行くようになってからも乗鞍のお気楽さは魅力的でよく出かけました。
春になり雪が締まってくると、信州側から肩の小屋辺りまで登りそこから乗鞍高原スキー場まで滑走。
スカイラインが開通すれば除雪済みの林道を使い車でピストン輸送しながら位ヶ原山荘までの滑降の繰返し。
雪が少なくなってくると剣ヶ峰と蚕玉岳鞍部から大雪渓の滑降。遅い時期には大雪渓の中間部に幅1m位の割目が入りこれを飛び越すのが楽しかった。・・・
毎年、春・夏スキーにはよく行きました。
かみさんがスキーを始めたのも乗鞍です。やはりスカイライン開通前に信州側から登り、肩の小屋から斜滑降、キックターンの繰返しで降りてきたそうですが、「初体験でよくもまあ!」と感心したものです。
位ヶ原山荘から下は狭い谷間を降り、南側(右側)の樹林帯に入った後スキー場最上部に飛び出します。時間的にこの辺りを通過するのは昼過ぎで、気温が高いとクサレ雪に足を取られ初心者には辛い所です。
(最近では位ヶ原山荘を通らず、もっと南側に樹林を切り開き、ダイレクトに降れるツアーコースができています。)
早春、信州側から登ると上部の大雪原で大勢のスキーヤーと出くわします。
この連中、実は宇宙線研究所やコロナ観測所に手伝いに来ている学生さん達です。
冬場も常駐で荷揚げに雪上車を使っているのですが、春になり雪が締まってくると、雪上車から何本ものロープをたらしそれにつかまって上まで引っ張り上げてもらい滑降を繰返しているのです。
私が宿泊した当時で食事付きで1泊\500でしたから、へたなスキー場へ行くより余程お安く楽しめたのでしょう。官費を使ってこの道楽。全く羨ましいかぎりです。
てんちゃん(下の子)が滑れるようになったのも乗鞍のおかげのようです。
お兄ちゃんは教えもしないのに3歳になるかならない内に勝手に滑ってました。
その頃H高原に山の会の小屋があり毎週土日は一家で出かけ、一日券1枚で午前と午後 かみさんと交替で滑っていました。ひとりが滑っている間はもうひとりが子供達を見ていました。
会の人と一緒になった時は、午前中に滑る方が精一杯ひっぱりまわししっかり疲れさせると、「午後からは子供達を見ててあげるよ。」と言ってくれるのです。
こうやって時々二親ともいなくなるので、お兄ちゃんは置いていかれないようにスキーを覚えたのだと思います。
プラスチック製のおもちゃの板を踵が上がらないよう木ネジで固定しただけでしたが、どこでも平気で滑っていました。
「これじゃあまともな板が要るなあ。」これ以降毎年 板を新調することになってしまいました。
こうなるとてんちゃんだけ置いて行く訳にいかず、かみさんがおんぶして滑ることに・・・。(その頃 私、病を患いまして、病み上がりという事でこうなりました。)
子供をおんぶしたまま、志賀高原のチャレンジカードを2日間で満杯にする。という偉業を成し遂げたかみさんにはほとほと感心します。(チャレンジカードとは志賀高原の全リフト搭乗の証です。乗る度に該当リフトの印を押してもらうのです。)
【おんぶでスキー】の味をしめてしまったてんちゃんは全く自分で滑る気は無し。これが何シーズンも続くと さすがのかみさんも事ある毎にブチギレ。
ゲレンデの真ん中で泣きじゃくる子供を叱っている親を見ると、当時のかみさんを想い出します。
年長さんになったばかりの春、さすがのてんちゃんも「このままではいかん。」と思ったのでしょう。自分から「乗鞍に行きたい。」と言い出しました。スカイライン開通後、この時はてんちゃんと2人だけで出かけました。(たぶん土曜日でお兄ちゃんは学校だったと思う。)
剣ヶ峰往復の後、畳平の傍の緩斜面で遊ばせていましたが滑っているようには見えませんでした。雪の塊で段差を作りゲレシュプをやっているとてんちゃんもその方が面白いようで一緒に飛んでいました。(てんちゃんは着地と同時にこけていました。)
そして次のシーズン。正月休みに一家で栂池へ行った時の事です。
どうせてんちゃんは滑れないからとかみさんとお兄ちゃんだけゴンドラで上へ行かせ、下で遊ばせていると、ちゃんとボーゲンで制動しながら滑っているではありませんか。
我が目を疑い、もっと急斜面から滑らせても、右に左にターンしながら降りてくる。
この時はつい目頭がジーン。できの悪い子って本当に可愛いものですねえ。
早速かみさんに無線機で連絡。(当時はまだ携帯電話なんて無く、アマチュア無線で連絡しあっていた。)
1日券をもう一枚買う事になりましたが、親子4人一緒に滑れるのなら安いもの。(栂池ゴンドラは小学生以下なら、大人ひとりにつき子供ひとりが無料で乗れます。1日券2枚で親子4人が乗れます。)
乗鞍のゲレシュプのおかげかそれともそのあとイメージトレーニングを続けていたのか?
何れにせよ乗鞍のおかげには違い無いと思っています。そして就学前のスキー自力滑降にぎりぎりセーフ。
この後約10年にわたり、我が家のスキー三昧が続いたのです。今にして思うと、よくもまあお金が続いたものだと呆れています。
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