20030916
番外編

大いなる力


私は無宗教です。日本人の殆どがそうであるように、冠婚葬祭の時のみ先祖からの宗派に従って、社交辞令的に行事を行っているだけです。
神仏の存在なぞ全く信じていませんが、大いなる力の存在は感じる事があります。
人知の及ばない力、また力そのものでなくても何か微妙にタイミングのズレを起こさせるもの・・・
運が良かったと言えばそれまでですが、そのおかげで何度も命拾いした事があります。
今回の病気にしても、いつもなら大丈夫だろうと放っておくところ、何故か早退までして受診したのも運だけとも思えません。
科学文明の世の中、自分自身が技術屋のはしくれでもあり、理論的裏付けの無いものを疎んじる傾向が強いのですが、「何かとんでもない考え違いをしているのではないか?」と常に強迫感に囚われているのも事実です。
特に入山中など、科学信奉者としての傲慢な自分はなりを潜め、謙虚な自分に戻っています。
ヘリで収容されていく【オロク】を見て「バカなやつ」なんて思った事は一度もなく、「明日は我が身、明日は我が身。」といつも自分に言い聞かせていました。

低山歩きしかしなくなった今でも山の中に入ると、【大いなる力】と自分の矮小さ、無力さを感じ、自然と謙虚かつ臆病になります。
臆病になる事は弱い者が生きのびる為の最大の武器かもしれません。

宗教として最も原始的な自然神信仰、拝火教(ゾロアスター教)等が信仰の原点かと思います。
信仰する者が集まれば権力が生じ、権力と結びついた宗教はもはや純粋な信仰からかけ離れたものになってしまうと思います。
また偶像、書物等世俗的なものを媒介として使うと、やはり純粋なものでなくなってしまうと思います。
自然の中に入り、己の無力さと自然に対する畏れを感じる事が、本来の信仰の姿かと思います。
そういった点では、私は無神論者では無いと言えます。
ニーチェの著作に【ツァラトストラ(ゾロアスター)はかく語りき】というのが有りますが、ニーチェの思想がヒトラーの思想的裏付けになったというのは皮肉な事です。

2003年09月16日15時20分00秒



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