古い話なので、時間軸上の前後関係が曖昧になっていますが、先にその辺を明らかにして…。
チェルノブイリ原発事故が1986年4月。
東西ドイツ統合が1990年。
この本「ドイツの森番たち」の発刊が1994年7月。
私が始めてドイツへ行ったのは、チェルノブイリ原発事故の直ぐ後だったと思います。それも大病から生還、退院後まもなくの頃だったように思います。いかに自分で蒔いた種(私が設計した機械の不具合)とはいえ、よりによってチェルノブイリの近くとは。(地理的には凄く離れていますが日本から見るとすぐ傍と感じてしまいます。)
患ったのが腫瘍(癌)でもあり、チェルノブイリからの死の灰でまた再発するのではないかと、かみさんはことのほか心配していました。
そして東西統合後すぐにも、また別の不具合で再度訪れています。
「ドイツの森番たち」はそれよりずっと後の発刊だったようです。この本は書店でたまたま目に付き、ドイツを身近に感じていたせいか手に取り、斜め読みのつもりがつい引き込まれ買ってしまったものです。
子供って親の読んでいる本に強く興味を示すようです。そして読み終えて放りっぱなしにしてあったこの本も子供達の餌食になってしまいました。特にT哉なぞ相当大きな衝撃を受けたようです。快適な生活の為には膨大なエネルギーが必要です。そのエネルギーを得るには化石燃料を燃やすか、大きな負の遺産を垂れ流しつつ原子力に頼るかしか無いことに世界観が変ったようです。今まで何の悩みもなくそしてこれからも悩みやジレンマなぞない生活を送る筈だったのに、ふと開けてしまったパンドラの箱。今まで考えもしなかった、生きていくが上の大問題。これがきっかけで世の中が薔薇色ではない事を知ってしまったようです。その結果、物理学や数学に特に興味を持つようになりました。危険なものとして避けるのではなくなんとか安全に原子力を使いこなせないものか? と使命感のようなものを感じていたのかもしれません。(今ではすっかりその頃の事を忘れていますが。)
子供達だけでなく私自身もこの本から大きなインパクトを受けました。子供達とは違った意味のインパクトですが。
たとえ不便な生活に戻ろうともドイツ国民ひとりひとりがそれを受け入れ、脱原子力を選んだと言う事。
推進派、反対派と分かれていてもお互いの意見を尊重しあう国民性。そして何が最善かを全ての国民が参加して決めようとする姿勢。
何がどう危険か、あるいはどう安全かを論理的に議論する姿勢。
反対意見を聞こうともしなけりゃ、相手の全人格を否定してでも自己の主張を押し通そうとするどこかの国の人々とは全くかけ離れています。まるで大人と子供ほどの精神構造の違いです。日本人であることをこれほど恥ずかしく感じた事はありません。
そして、2002年脱原子力法が発効。今後新たに原子力発電所が作られる事はありません。現在稼動中の原子炉も定められた稼動期間が過ぎれば運転を停止して行くのです。
放射性廃棄物の保管場所として地質的に安定な岩塩層を持つドイツでさえ何万年に渡って管理することは出来ないと結論づけているのに、不安定な地盤しか持たない日本のどこに保管場所があるって言うのでしょうね。地方交付税とのトレードで六ヶ所村に一時保管しているようですが、日本に岩塩層なんてありません。安全だと言ってる人達の自宅の庭にでも保管すれば良いじゃあありませんか。あるいは国会議事堂の地下、総理官邸の庭etc. etc.
ドイツでは脱原子力に向けてどんどん代替エネルギーが実用化されています。太陽光発電、風力発電等等。
なんでもドイツの風力発電量は全世界の風力発電の1/3を占める程だそうです。
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