先日の新聞で、「エベレストで遭難死した筈の登山者が実は生還していた。」という記事を目にした。その少し前に、「瀕死の遭難者を置き去りにして登頂した登山者達がいた。」という記事も見ていたので生還したのは同じ人かと思い込んでいた。しかしどうやら別人らしい。
これらの事から次の事が推測できる。
1 著名な山は過密状態である。夏山シーズンの北アのように混みあっている。こうなるとルート工作など不要で体力さえあれば素人でも登れる可能性が高い。同様に安易に登頂を目指す素人が増えている。
2 それだけ混みあっていても下界との間では情報が遮断されており、錯綜した情報から推測憶測がまるで事実のように一人歩きしている。
3 曖昧な情報に踊らされモラルの低下を嘆いたり、確かめもしないまま特定の個人を非難したりと軽率な言動に走る部外者が出てくる。
なんにしてもエビデンスも無いまま安易な非難中傷は避けたいものです。
本当に置き去りにしたのだとしても、それなりの理由があったのでしょう。
「厄介事には関わりたくない。」と思うのは当然です。一生に一度あるかないかのチャンスを厄介者の為に棒に振りたくない。とは誰でもが思う事です。
そんな大舞台じゃなくっても、大抵の人は変な連中がいたら距離を置くようにします。
事故を起こしそうな人って見ていると大体解ります。同様に相棒も気付き、双方目配せしながら極力関わり合いを避けようとします。こんな事をしている側からすると起こるべくして事故を起こしている連中は彼等自身に問題がある訳で、「何故こんな連中の為にこちらが迷惑を蒙らなきゃならないんだ。」と思うのは当然の事でしょう。
かといって実際に事故に出くわしてしまうと心で思っているような行動は採れないものです。腹立たしく思いながらも結局は自分達の行動を中止してお手伝いをする事になってしまいます。無愛想な態度は迷惑を蒙った事に対する正直な心の現われです。
運も実力の内。とよく言われますが全くその通りだと思います。同時期に未熟な厄介者と出くわさない事。例え不可抗力であったとしても事故者と出くわさない事。天候等の条件に恵まれていても厄介者による人災のおかげで断念、なんて泣くに泣けません。
これだけ協力しても、下界では悪意に満ちた流言蜚語が流れます。「遭難者を置き去りにした。」「遭難者を見捨てて自分たちは登頂を果たした。」
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