訃報


20060501

ほぼ50年間になります。1945年の秋、ダグラス・マッカーサー司令官時代の東京に来たのが最初で、それ以来というもの、この長い年月のあいだ、私は日本に関心をもち続けてきました。日本の経済発展と、日本とアメリカ合衆国との諸関係に、関心を払ってきました。時には、日本が私の主たる研究関心になったこともあります。例えば1946年がそうで、当時私は、合衆国国務省の経済保障政策局の長として、日本、ドイツ、オーストリア、南朝鮮といった、いずれも当時アメリカ軍の占領下にあった国々に関する経済政策についての責任を負っておりました。マッカーサー将軍との関係で見れば、日本における私の権限は大したものではありませんでしたが、賠償を取りやめさせるうえでは、影響力のある役割を果たしました。日本の都市の光景は、いたるところで破壊され尽くしており、そんな日本からプラントや産業設備を撤去させるなどとは、考えただけでも、大いに気が滅入ったものでした。
その時も、そしてそれ以来も、日本を訪れるたび、物を書くたびに、私は日米両国間で静かな理解が深まるようにすることを、一つの大目的としてきました。そうした理解を増進するには、多くの方法があります。しかし、そのなかでも重要なものとして、一つには日本の側が、アメリカの経済生活や社会生活や、それらに関する事柄について、理解を持つことがあります。またもう一つは、それに対応して、アメリカ人の側が日本の国内の生活について、理解をすることです。こうした目的の両方に貢献しようと、と言っても私の場合は、もちろんとくに前者についてのことになりますが、私はこれまで努力してきました。
しかし、それだけではありません。第二次大戦を体験し、その恐怖と破壊とを体験した者として、私は、国際紛争が(そして国内紛争もまた)平和的に解決されるようにすることに生涯をささげようと、考えました。そして、政治の部面で軍事力の意義を高めることになりそうなことについては、どんなことについても、ずっと関心を払ってきました。私は、わがアメリカが大きな軍事力を持つことを、そしてその軍事力がアメリカ以外の場所で行使されることを、残念なことだと考え、それに反対してきました。そして、私が実にすばらしいことだと感じてきたのは、過去数十年のあいだに、まず民需生産を優先し、それに専念することによって経済的成功が達成されることがはっきりと示されたことです。それは、ドイツと日本が示している通りです。
わが同国人のなかには、今度の湾岸戦争に日本が軍事的参加をしなかったことを、遺憾に思っている人もいます。しかし、日本がその点で抑制したことを歓迎する者もまた多いのです。私もその一人であることは、本書をごらんくだされば、明らかでしょう。


湾岸戦争終結後まもなく上梓された著書のまえがきの冒頭である。
The Age of Pragmatism.(和訳:実際性の時代)

5月1日(月)ゴールデンウィーク3日め。のんびり起きだし朝刊に目を通す。三面最後に、ガルブレイス教授の訃報。97歳老衰。
昨年晩秋のドラッカー教授に続き、また偉大な人を失ってしまった。
新聞記事には、戦後の敗戦国復興にむけての氏の尽力の記述は無い。日本の驚異的な復興への海外からの賛辞、日本国民の自負については周知の通りであるが、その礎を与えてくれたのが氏であることをどれだけの人が知っていることやら。
政治と関わりあいながらも終始戦争に反対し続け、何度も職を辞してきた。
口先だけで「骨太の国家、政府」を喧伝している政治屋はいるが、イデオロギーだけに捕らわれず、常に最善は何かを考え続ける人は少ない。その数少ないひとりをまた失ってしまった。

感謝の念をこめて、哀悼の意を表します。そしてご冥福をお祈りします。


2006年05月01日


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