ハイカーとクライマー


20060220

昔、うちのボスから聞いた話。
欧州の方ではハイカーとクライマーが明確に別けられていたそうだ。今もそうかどうかは解らないが。
ハイカーのテリトリーも明確に決められていて、クライマーだけの領分には決して入り込まないそうだ。たとえ平坦な氷河の上であろうとも。
御在所裏道の藤内沢出合付近にある看板もそう言った意味からすると当然の事かもしれない。
人によっては「ハイカーを見下したような表現だ。」と立腹される方もいらっしゃるようだが、いかにもお節介やきの日本らしい看板ではないか。自己責任が基本の欧米とは全く異なった文化である。
日本では、「危険な所にその表示をしないのは管理者の責任を果たしていない。」となるが欧米では、「危険かどうかは当人が判断すべき事。」となる。
そしてハイカーとクライマーは全く別の嗜好の人達と分類されている。

私が思うに、ハイカーは自然を愛し情緒豊かな詩人が多い。人間的にも上品で謙虚で優しい立派な人達である。
比べてクライマーは頭のねじが何本か欠落しており単にワクワクする事だけを追い求める刹那的な連中が多い。わがままで自制心がなくチャランポランで人に迷惑ばかりかけているクズどもばかりである。
例外もあるが概ねこの傾向が強い。中にはレビュファのように山の詩人と呼ばれたクライマーもいる。まあ年食やあみんな詩人になるのかもしれん。
そう言えば、山のサイトを立ち上げている人達ってハイカーばかりですね。クライマーは登る事しか頭に無いので花鳥風月を愛でるなんて出来ないのでしょう。

ところが最近はこの分類が出来なくなってきた。特に日本の中高年諸兄がおおきな例外を作っている。若い頃はモーレツ社員とか呼ばれ戦後の復興の大きな原動力となってきた人達である。仕事をリタイヤしたこれらの人達は持ち前のエネルギーと好奇心でハイカーという括りを逸脱しクライマーのテリトリーを侵食しているのである。
彼等は潤沢な資金を持っており道具を揃えるのも容易である。熟慮する事もなく簡単に買ってしまう。必要ならガイドを雇って難度の高い山行を行ったりする。

山を始めた者はハイキングから始めそれに飽き足りなくなり徐々に難易度の高い山行にのめり込んでゆく。それは当然の事であるがステップ・バイ・ステップでのレベルアップが重要である。
山岳会では技量の足りない者を無理して登らせたりはしない。後輩達の熟達をじっと観察していてその技量にあった山行を勧める。背伸びしている者にははっきり「止めろ。」と言う。

お金を受け取っているガイドさん達、「止めろ。」って言う勇気をお持ちなんですかね?
素人集団を場違いな山に案内するガイドが居るようですが、リスクを考えた事あるのですかね。
ステップアップしたいと思うのは当然の事です。持ち前の向上心でどんどん経験を積むのは良い事です。可能なら応援してあげたいくらいです。そんなピュアな心の中高年の皆さんに、山で最も重要な【リスク回避】という事を教えず観光ツアーもどきの事をやっている一部の人達に憤りを感じます。今日は偶然何も起こらなかった。でも明日は解りません。
昔のように山岳会で育てられる事のない人達は、金にものを言わせガイドを雇ったり使いこなせない道具を買うしか他に道が無いのかもしれません。
もし本当にクライマーになりたいなら歳なぞ気にせず是非山岳会に入るべきです。
人間的に大人っぽく形而上学的なものを追求したいならハイカーで良いではありませんか?
クライマーやってる限り花も景色も眼に入りません。頭にあるのは、「ここは登った。次はここ。」だけになってしまいます。これって20代のガキのやる事ですよね。
因みにうちのサイト【Weekly Hike】は私がHikerであることを意識して、それを宣言するため付けたタイトルです。登山という言葉はやはり高い山を連想させます。登攀を伴うものを意識します。登山なんておこがましくとても付ける気になりません。やはりハイキングが私にはぴったりかな?と思います。そして良い名前を付けたものだとひとり悦に入ってます。


2006年02月20日


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