大衆食堂なんて言葉、今でもあるのかな?
今では小奇麗なレストランばかりで、昔風の小汚い食堂は見かけなくなってしまった。
どう小汚いか?っていうと、まず床がコンクリートの打ちっぱなし。安物のテーブルと椅子。テーブルはスチールパイプの脚に化粧合板の天板。デコラ板が出てくる以前のものである。造り付けではなく置いてあるだけなので移動も可能。
客の多い店ではガラスケースの中に作り置きのおかずが並べてあり、客がセルフで好きなものを取り出す。
冬になるとダルマストーブの上に大鍋がかけられ、中にはおでんがいっぱい。かたわらには皿が重ねて置いてあるがどれも形がいびつだったりあちこち欠けていたり…。
なにより建物自体が古く(勿論木造)いくら掃除をしても見た目から汚い。
そんな処の方がどういう訳か落ち着く。小奇麗な処はボッタクられるのではないか?とか自分には場違いなのではないか?とつい気をまわしてしまう。
そんな小汚い食堂の中でよく覚えている処がある。
ひとつは【御岳食堂】。19号線野尻トンネルの北東側出口の傍にあった。蕎麦が旨く19号線沿いでは木曽福島の【車屋】か【御岳食堂】に必ず寄っていた。山の帰りでは時間的に早く【車屋】に寄る事が多かったが、スキー帰りのように夜が遅いと【御岳食堂】しか開いてなかった。8時か9時ころまでやっていたと思う。
【車屋】は老舗の風格が漂う立派な造りだったが、仕込む量が少なく午後3時か4時で閉店していた。そんな大名商売の店と対照的な大衆食堂なりに老舗とはまた違った蕎麦の旨さを提供していた。【車屋】が材料から厳選し上品な旨さと情緒ある建物の中で蕎麦を味わう事を売りにしているのに対し、【御岳食堂】はなにもかも対極的だった。隙間風が吹き込む小汚い、今にも倒壊しそうなあばら家。いかにも雑な麺の打ち方、切り方。無愛想な親爺の態度。そのザラザラする麺を含んだ瞬間、口いっぱい広がる芳しい蕎麦の香り。わさびの刺激とつゆの味についで広がる蕎麦本来の旨み。作りは荒っぽいがこれが本当の蕎麦の旨さかと思い知らされるのである。
下品な私には上品過ぎる【車屋】の蕎麦より【御岳食堂】の力強い蕎麦の味の方が合っている。
スキー帰りに腹を空かして飛び込む。親爺は奥から出てこない。かまわず欠け皿におでんを3-4本取り辛しをたっぷり皿の縁に擦り付ける。それをテーブルに持って行きかぶりつく。ムシャムシャ食っていると赤ら顔の親爺がおもむろに出てくる。「ざる2枚。」「俺も2枚。」「あたしは1枚。」注文を聞くと返事もせずに厨房へ入って行く。あっ、お茶はもちろんセルフサービスである。
おでんをかきこみ、熱いお茶で手を温めながら待っていると蕎麦が出てくる。薬味の葱を入れわさびを半分ほど入れる。わさびはもちろん練りわさびである。高級蕎麦屋のような本わさびをすりおろしたものではないが、この方が蕎麦にはあっている。麺は繋ぎなしの蕎麦粉のみ。歯ごたえがあるがどろどろにとろけた細い麺が混じっていたりもする。食い終えた後の蕎麦湯がまた格別旨いのである。どろっとしており表面にすぐ膜が張る。いかに蛋白質が多く含まれているかの証拠でもある。たっぷりの蕎麦湯を飲み干し腹を満たしてからもうひとっ走りで帰宅。って事を毎週繰り返していた。
この蕎麦の味を覚えてしまうと街中の蕎麦は食えないのである。蕎麦専門店などとのたまわっているどの店の蕎麦も蕎麦の味が感じられないのである。だから街中では蕎麦を食った事が無い。
【御岳食堂】は蕎麦が有名で結構多くの人が贔屓にしていたようだが【食堂】の名前が示すようにカツ丼やら定食やらなんでもやっていたのである。蕎麦がお好みでない人も安心して入れたのである。
何年か前、かみさんと昼間に出かけたとき久しぶりに寄ってみた。改装して小奇麗な店に変わっており蕎麦専門店になっていた。もうカツ丼は頼めないのである。
店内は息子夫婦がきりもりしていた。以前とは雰囲気の全く違う店内で食べる蕎麦は、以前のようなふくよかな旨みの広がりは感じられなかった。
僕の気のせいかと思っていたが、かみさんがあっさりとのたまわった。
「味、落ちたね。」
帰り際、奥さんに親爺さんの事を聞いてみた。
「まだ生きてるよ。だいぶ前に骨折してね、それからずっと家にいる。酒ばっか、かっ食らってるがね。」
昔からいつも赤ら顔だったがその顔が思い浮かんだ。
あれからまた十数年。あの親爺まだ元気かな? もし存命ならもう一度親爺の打った蕎麦を食ってみたいものだ。息子さんのじゃなくて。
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