男の顔


20060119

或る年齢に達したら、男は自分の顔に責任を持たなければならない。
その年齢が40歳だったか50歳だったか忘れたが、昔どこかで聞いた覚えがある。
永い間の生き様が顔に現れてくるとか、その風貌が本人の履歴書であるとか、好き勝手な事を言う人がいる。
眼差し、微笑み、などで多少形而上学的なものも伝わるかもしれないが、持って生まれた顔の造りは生涯付きまとうものである。
そんなカッコ良い事が言えるのは生まれつきの美男子くらいのものだろう。
翻って、私の顔について言うならば、とても自分の顔に責任など持てない。暗闇の中で私の顔を見て驚いて事故を起こしても、私の顔のせいだ。などと言わないで欲しい。もちろんその事で提訴なんて論外である。
こう言うと「どんな不細工な顔なんだろう。」「どんなブ男なんだろう。」と興味を抱かれる事と思います。それでは簡単に私の顔の紹介でも。
私の顔は、そうですね、典型的なモンゴロイド。平面的なしもぶくれ顔に加え、眼つきが悪い。昔は「男の子には糸をはり。」などと言い薄いつり眼が凛々しいと思われていた時期もありますが、それって明治以前の話ですよね。
眼光鋭く、ではなくまるで犯罪人のように悪意を隠し持っているような眼つきの悪さです。
そして加齢により緩んだ表情筋のおかげで口はへの字。まるで怒っているかのようである。
怖くて近寄りがたい。と言うのが殆どの人が私に抱く印象のようだ。
この呪われたDNAは上の子供(T哉)にもしっかりと受け継がれている。T哉がまだ幼い頃、しもぶくれの顔に薄いつり眼、への字のとんがり口、その顔で赤いジャンパーなど着てると、ご近所の皆さんに「まるで子供の極道みたい。」と言われてしまった。親の私が見ても「言い得て妙。」と感心してしまう程でつい怒ることすら忘れていた。
ああ、家には女の子が生まれなくて良かったなあ。間違って女の子が生まれていたら悲劇だった。この点は神様に感謝せざるを得ない。

街中でカップル同士が擦れ違う時、必ずお互い相手の女性の方を見るそうだ。そして男女ともに「俺の彼女が勝った。」「私の方が勝った。」、「俺の彼女が負けた。」「私の方が負けた。」と品定めしているそうだ。なかなか女性は負けを認めたがらないようだが。
それが子連れになると、両親ともお互い相手の子供(赤ちゃん)を見ているそうだ。
そして、「家の子が勝った。」「家の子が負けた。」と品定め。
そしてT哉の場合は勝率5割。(もちろん親の欲目があってである。)

ところがどこでどう間違ったか、下の子(S司)は勝率10割負け知らず。当時SONYのハンディビデオが家庭用ビデオブームを巻き起こしていた時代で、そのTVコマーシャルで【坊やハント】とか言い、可愛い赤ん坊が出ていた。その子よりS司の方がずっと可愛かったのである。親の欲目を差っ引いてもずっと可愛かったのである。ご近所のお母様方も恨めしそうに、また羨望の眼差しでS司を見ていた。口の悪いおばはんなぞは、「女の子でも通るね。誰に似たのだろうね。」と言っていたそうである。悔しそうにかみさんに「私にしか似る訳ないじゃないの、ねえ。」と同意を求められた覚えがある。そういえばかみさんの幼い頃の写真にそっくりなのである。 「家のかみさんって地はチャーミングなんだ。」この時初めて気付いたのである。
まるで美女と野獣ではないか。でも普段は日焼けで真っ黒、化粧ッけ無しでとても美人には見えません。
そのS司も高校生くらいからだんだん親父に似てきてかみさんはおかんむり。「だんだんブ男になって行く。」と嘆いていた。

え〜え、どうせ私が悪いんでしょうよ。こんなブ男で悪うござんしたね。
先天的なものは生涯付いてまわる。いくつになったって自分の顔に責任なんて持てねえや。責任持てと言うんなら家の先祖に言ってくんな!


2006年01月19日


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