便利なものである。該当Siteをアンテナ設定しておくだけで定期的に読みに行き差分を表示。
差分すなわち更新内容って事だ。
私がただ乗りさせてもらっている【はてな】のブログにも当然アンテナがありいくつかのSiteを登録してある。登録Siteのオーナー側で登録したアンテナSiteは【お隣アンテナ】として同様に更新分を拾い読みする事もできる。
毎日アンテナを開き新たな更新、中でも興味を引かれる更新があれば見るようにしている。時間の節約にもなるし効率的である。
そんな中、某SiteのBBSに【三丁目の夕日】のオープニングが【フォレスト・ガンプ】に似ているとの書き込みがあった。
言われてみればそのようにも取れる。その人には特にそう思えたのかもしれない。
しかし私の目には全くの別物としか映らなかった。
【フォレスト・ガンプ】は私が非常に感銘を受けた映画である。あれはたしか米国出張中にホテルの部屋で見た映画だと思う。当然吹き替えも字幕も無く聞き逃しだらけだった。それでも映像からストーリーを充分推測する事はできた。
オープニングで一本の白い鳥の羽根が風に流されて行く。地面に落ちてもまた雑踏の中を風に舞い上がって行く。そして辿り着いたのがベンチに腰掛けている主人公の足元。その羽根を主人公であるフォレストガンプが拾い本に綴じ込む。そこから彼の回想が物語として始まる。
話が終盤に近付くと、彼が面倒を見る事になった幼な馴染みのガールフレンドの子供、その子のスクールバス停留所のベンチへと移る。ベンチに腰掛け、子供を待っている間に開いた本から件の羽根が風に乗り舞い上がりまたその羽根の旅が始まる…。
当時はまだバブルの真っ最中でマネーゲームに人々が浮かれていた頃である。そんな中たとえ知恵遅れであろうとも真っ正直に地道に生きているフォレスト・ガンプを通して本当の幸せとは何か?と考えさせられた素晴らしい映画だった。あの羽根そのものもまたひとつの人生でありフォレスト・ガンプとの接点が一期一会なのである。とても三丁目の夕日の模型飛行機とは比ぶべきものでは無い。と私には思える。
この暫く後、偶然本屋さんで、ベンチに腰掛けたトム・ハンクスの表紙を目にした。運の良い事にこの本は映画の後編だった。子供達にも読ませてやろうと思い買って帰った。まるビの私としては大奮発である。小説なんぞ文庫本で充分なのだがこのての本は単行本しかない。たぶん文庫本にもならない。自分だけなら立ち読みで済ませるのだが、是非子供達にも読ませたかった。
人それぞれ生き方も考え方も違う。だから何が正解で何が間違いなんてものはない。本人がこう感じたのならそれが正解なのだろう。当然ひとりひとり答えは違う。それが多様性であり個性である。お互いがお互いを認め合うのが共存の基本原則である。
異なった考え方の人と接するのはとても大切な事である。同人種ばかりが集まっていても軋轢は起こらないが発展もない。云わば異文化との遭遇という点においてNetは大きな門戸である。情報の洪水から必要なものを取捨選択するフィルターとしてブログのアンテナはとても有効なヒントとなっている。これらのツールが発展して行き将来はもっと効率的なツールが出来るであろう事を期待している。そうなればもっと異なった文化と融合しあえる事と思う。
考え方が違うと言っても同じ人間同士。根底の部分では全く同じです。日本人の私がアメリカ人のフォレスト・ガンプに共感するように。
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