一昨日帰宅後、倉庫から一冊の文庫本を探し出した。
【曇り空の…】【山の…】その他装丁のしっかりした単行本を探し出すつもりだったが見つけられなかった。
そう、先日亡くなられた串田孫一氏の著作を読み返してみようと思ったのだ。
昭和48年初刊、講談社文庫【光と翳の領域】。かれこれ30年も前の本だ。
何の気なし眼を通すとつい引き込まれてしまい、昨日夕方、そして本日の寝起き、とベッドに横臥したまま、棲家を追われ出てきたダニを潰しながら読み耽ってしまった。
ところどころ記憶の片鱗が残っているような気もしないではないが、おそらくそれは僕の思い込みであり、ほとんどが30年の時の彼方に置き忘れてしまったもの、というのが本当のところだろう。
そして当時の自分自身の在り方が、30年の間に大きく軌道がずれてしまっていた事に気付いた。
世俗的な欲などに何の興味もなく、ただ淡々と自分の思うがまま生きていた筈なのに、いつの間にかそれとは全く違う生活に埋没していたように思う。
一生独り身のまま孤独とともに生きていくものと思っていたが、家族を持つに至り「せめて人並みに。」と思うようになった。人並みの生活、人並みの楽しみ、人並みのお付合い…。そのためには人並みに稼がなければならず、それには人並み以上に働かなければならなかった。馬車馬のように働きやっと人並みの生活を手に入れたが、これが本当に自分が求めていたものなのか?
家族の為に自分を押し殺してきたなぞと言う気は無い。それはそれで大切なものだったに違いない。子供達が自立し始めた今、自分の信条や価値観に照らし合わせてこれからの生き方を見直すべき時が来ているのではないか。
大したことなど何もしてやれなかったが、自分で生きていける程度までにはなったことだろう。
ここらで私自身の生きる姿勢を原点に戻すべく軌道修正しても良いころではなかろうか?
この一冊に引き込まれ読んでいる内に「あんた、誰?」「なんでこんな場違いな所に来たの?」「あんた、変わったねえ。」とこの本の住人達から侮蔑の目で見られているような疎外感を感じた。
今の自分を見つめ直すきっかけが、串田孫一さんの逝去とは!
若い頃の私には生きることへの道標を、そして子供達が巣立ちを迎える今、見失っていたものを思い起こさせていただくとは!
縁とは不思議なものです。
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