伊吹山


20050612

列車の停車でふと目覚める。開いた扉から冷たい風が吹き込み、暖房にほてった頬に心地良い。
車窓に目を遣ると、日暮れの残照を覆い隠すように、大きな山のシルエットがドッかと聳えていた。
数人の若者が乗り込んできた。映画の世界から抜け出たようなスキーウエアを身に纏い、誇らしげにスキーケースを肩にかけて。
「あれが伊吹山だよ。スキー場があるんだよ。」
寝起きのけだるさの中、仰ぎ見る真っ暗な伊吹山のシルエットは自分達とは別世界のものでしかなく「それが何なんだ?」としか感じていなかった。それより満員の人いきれと効き過ぎの暖房に喉が乾き、「早くこの息苦しさから開放されたい。」という事だけで頭の中はいっぱいだった。
小学4年。神戸から名古屋へ引越しの最中の事。これが伊吹山と私の始めての出会いだった。

時が流れ、Sさんと知り合い、連れられていったのが伊吹山との再会。
Sさんは伊吹山などは冬しか行かない。理由を聞くと「暑いから。」夏場など日が昇る前でないとあの南斜面は日陰もなく死ぬほどの暑さだとか。冬場しか行かないので当然スキー場は営業中。冬山での機動力アップの為と、スキーの練習に始めて行ったのも伊吹山。伊吹山でのスキーはそれが最初で最後。同じリフト代を払うならもっと広くて楽しくないと…。
場所柄から伊吹山は関西圏のお客さんが多かった。しかしそれは移動手段が鉄道しか無かった頃の話。私の現役当時、既に皆マイカーが移動手段となっており、関西圏の人も伊吹山なぞ素通りして岐阜、長野をホームゲレンデとしていた。御岳周辺のスキー場も関西弁に席捲され、相乗りゴンドラで関西弁が聞こえない時など無かった。(おかげでいつもただで漫才を聴かせてもらいました。)

そしてまた時が流れ、山歩きを再会した現在は伊吹山とはとんとご無沙汰です。
昨日久しぶりに宇賀渓方面に出かけた。初めて車で石榑峠を越え杠葉尾まで足を延ばした。初めて見る景色がとても新鮮だった。「御在所ばかりじゃなくたまには別の所も良いな。」とも思い、そして伊吹山の事が頭に浮かんだ。

数日前、新聞の片隅に小さな記事が出ていた。
西武グループの一員である近江鉄道が伊吹山スキー場の経営から手を引くとか。
どこに引継いで貰うかは未定との事。各地でスキー場の経営破綻、閉鎖が続いている昨今、新たな引継ぎ先など現れるとは思えない。来シーズンの新聞の積雪情報欄にはもう出てこない公算が大きい。
それと同時に冒頭で述べた伊吹山との最初の出会いが頭に浮かんだ。
あれから40年以上の時が流れ世の中も大きく変わった。高度成長、「もはや戦後ではない」発言、バブルがはじけ長いデフレトンネル、その延長上の西武鉄道の上場廃止と近江鉄道の伊吹山撤退。
世の中に変わらないものなぞ無い事は解っていてもやはり寂しさは隠せない。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。
驕れる者久しからず、ただ春の夜の夢の如し。
猛き人もついに滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ…。


2005年06月12日


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