昨日小岐須峠を通った。
以前からある木製の看板は半分朽ちていた。そこには小岐須峠の表示の他に大峠の表示もあったような気がする。
今ではそんな呼び方をする人はいないのか。
昭和49年版山渓刊アルペンガイド【鈴鹿の山】の地図にはまだ小岐須峠の下に括弧で括った大峠の表示がある。
こうやって看板からも地図からも昔の呼称は消えて行くのだろう。
すぐ横に鉄製の新しい看板が立っていた。最近この造りの看板をよく見かける。地元の役場が発注しひとつの業者が作ったものだろう。
これと合わせて【通報ポイント】なる看板もよく目にするようになった。事故発生時近くの通報ポイントを知らせるとそこを目指して助けがやって来るという寸法だ。便利な事には違いないが何か釈然としない。
この看板を作ったり設置したり保守したりって当然コストがかかります。ボランティアがやっているのなら別ですが、きっと地元の役所が税金から捻出しているのでしょう。経済感覚がずれている役所がやれば割高なものになります。費用に見合うだけの効果が期待できるのでしょうか。人の命は金額では置き換えられない? リスクを承知で出かけているのでしょう?
街中の公園にでも出かけるように車で気軽に出かけ、何かあればすぐ携帯電話。すぐ救急車がやって来るとでも思っているようだ。「救急車が駄目なら警察のヘリを飛ばせ!税金を払ってるんだぞ。」
どの程度の税金をお払いか存じませんが、このての人達、既に現役を終え年金暮らしが多いように見受けられます。
税収の直間比率がまだまだ高いこの日本、少数の就労者が支えている年金で支えている人達より裕福な生活をし、少ない間接税(消費税)しか払っていないジジババどもが、税金の無駄遣いまでしようとしている。
山へ行くならそれだけの覚悟をして行け! 水盃を交わし、最悪生きて帰れない事を回りにも伝え家を出ろ!
人智の及ばない大自然の中に入り込むのは一種の冒険だ。それが出来ないなら近所の公園で日向ぼっこでもしていろ!
人生の大先輩に対して失礼な言い方ですが、遊びに関しては私の方が先輩です。遊びにもルールがある事を知りそれを遵守していただきたいと思います。
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