A国の人はこう、B国の人はああだ。
C地方の人はこう、D県の人はああだ。と知らず知らずの内に決め付けている事ってよくあります。
少ない事例からこういう傾向があると見てしまうのですが、マクロ的に見る場合都合の良い面もあります。
しかし決め付けられた側にしてみれば迷惑な事です。
昨今のTV番組でも血液型と性格との相関関係がよく扱われていますが、差別のおそれがあると改善勧告が出されたりもしています。
先日の日記に記したように、山の会での情報が刷り込まれ、私、少なからず岐阜県人への偏見を持っていました。
そして子供が幼かった頃岐阜県のあるスキー場で厭な思いをした事があり「ああ、やっぱり。」
かみさんも岐阜県のスキー場でバイトをしていましたが、レッスンの無い時はリフト乗車は自由との事だったにもかかわらず、リフトのおじさんに厭味ばかり言われるからと辞めてしまいました。
「ああ、やっぱり。」
偶然も続くと、一事が万事と思うようになります。同じ山国でありながら長野と岐阜ではどうしてこんなにも違うのでしょう。
私の岐阜県人への偏見はなかなか払拭できません。岐阜県人が排他的であるというステレオタイプが出来上がってしまいました。
と言いながらも、私自身一時期岐阜県民だった事があります。姉も各務ヶ原に嫁いでおり、お舅さん、お姑さんともに人柄の良い人たちです。一人一人と接する時には良い人達ばかりなのにねえ。
仕事で東西併合後の旧東独へ行った時、東独時代とどんなに変ったのかと思い、カメラを持って行きました。以前の東独では写真など撮れる雰囲気ではありませんでしたし、普段は旅行でも滅多にカメラなぞ持ち歩かないのですが。
そこで取引先の人に「典型的な日本人だ。」と言われました。 スーツ姿に眼鏡をかけカメラをぶら下げている…自分の姿を想像し思わず吹き出してしまいました。これこそステレオタイプ。
共産圏の頃は夏時間では午後3時で仕事が終わり一斉に職場から人がいなくなりました。如何にも共産圏。と思ったのもステレオタイプ。
それが併合後は午後3時を過ぎても残業している人達がいっぱい。いやあ、あれには感動しました。これが本来の謹厳実直なドイツ人の姿なんだと。この時思い浮かんだのは、ドイツ語で仕事をさす言葉は【神様から与えられたもの】という意味でもあるという事です。このドイツ人が謹厳実直と思い込んでいるのもステレオタイプ。
ステレオタイプにも例外はつきものと思っていますが、じつは例外が実体でステレオタイプこそが例外かもしれません。
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