国木田独歩の短編にこんな名の作品があったような…。
なにげなく短期間接することがあっただけなのに後々まで印象深く記憶に残っている事ってよくありますね。
高校三年の担任が時折見せてくれた奇異な行動。
その頃は「誰も他人の事を親身に想ってくれる事なぞない。」と信じていたせいか奇異な行動と思い込んでいたが「悩める子羊に手をさしのべてくれてたのだ。」と気付いたのは何年も経ってからの事でした。本当に私って、勘が鈍く世事に疎く人間がとろいと思う。警戒心が先にたち好意に甘える事すら出来ない少年だった。
物理の教科担任でもあったその先生が、学年末の頃、なにを思ったのか一言も喋らず黙々と黒板に図と数式を書き始めた。教科書には記載されてないものだった。皆なにか尋常ではないものを感じ必死にその数式をノートに取りだした。もちろん私も。黒板がいっぱいになると古い方から消しては新たな式を書き込んでいった。教科書に無いのだから入試問題に出る訳もないだろう事は気付いていたが何かとても重要な物のような気がして必死に写した。
その時はこれが何なのか全く解らなかったが卒業後電気磁気学を学ぶに到って何を言いたかったのかがやっと解ったように思う。
電気磁気学では一般的な解説としてよく用いられる手法だが、微積分を用いた証明は高校三年間やってきた事の集大成だったのではないか? 数学と物理を全くの別物と見ていた生徒達に「数学も物理も表裏一体のものなのだよ。数学は物理を学ぶための道具でしかないのだよ。」とでも言いたかったのではないかと思う。
高校卒業後は専門学校へ通っていたがそこでも素敵な先生とめぐり合う事ができた。
およそ授業というと数式とアカデミックな理論ばかり。その中でこの先生は例え話が上手かった。一例を挙げるとアンプとブランコの話。LCのタンク回路は固定の周期を持つブランコと同じ。A級アンプは全振幅に渡って押し手が支えながら揺すっている状態。B級は半分だけ、C級に到っては片側の末端で瞬間に背中を押しているだけ。「それでも周期が合っていたらちゃんとこげるでしょ。」例えの上手さに目から鱗って事がよくありました。
教え方の下手な先生って、本当は先生自身よく解っていないのではないか?と今でも思う。
本でも同じ事が言えます。解っていない著者に限って自分の言葉で表現できないのです。
他の書籍からまるごと引用している書物にはご注意を!
社会に出てからも「凄い!」と思える多くの方々と運よくめぐり合っている。
友人達にしても、なんで僕のようなしょうもないヤツにこんなに素晴らしい友人ができたのだろうと不思議に思う事しきり。
つくづく自分の運の強さに感心する。
山へ行っても晴れ男の強運はついて回る。
しかしいつまでもこれで良いのか不安になる。与えられるばかりで良いのだろうか。なにか人様のお役に立てないものだろうか。そう思いながらもいつも周りの人達に支えられ、手をさしのべられながら生きている。
はたして・・・。
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