懐古 Hike


ゲレンデ横から上水晶谷へ落ちるルンゼ沿いに降ります。
大岩手前から国見峠へ。
久しぶりに国見岳って事も考えましたが今日はこのまま裏道を辿る事にします。
もう長い事ここは歩いていませんから。


20160225

2月2回目、なかなかWeeklyとは行きません。
今日も平日、駐車場が空いているのは有難いですが道中が大変です。朝5時10分に家を出たら中道駐車場着が7時過ぎ、まあこれでも早い方かな? 日の出も随分早くなり到着時には赤みも遠に消えていました。
遅れついでにのんびりと車内で朝食のパンを齧ります。
久しぶりの晴天、気温も冷えているとの事で期待してきたら山頂辺りにうっすらと霧氷林。陽射しが強いので着く頃には融けているかもしれません。
雪? そんなもん期待していませんが、一応道具だけは持ってゆきます。但しスパッツは着けずザックに押し込んで。

7:25 a.m. でっぱつ。
稜線上の白い霧氷が写真でも確認できます。

スカイラインの工事、中央に壁でも作るようです。
前回同様一の谷に架かる橋の下を潜り中道に出ます。
こんなに天気の良い日は迷うことなく中道です。
先行者の足跡がひとつ。駐車場にはうちの車と後から来た車の2台だけ。その車の人はまだ出発していないのでスカイラインを下から歩いてきたようです。こんな平日に来る人っているんですねえ。あっ、私もそのひとりでした。


8:05 a.m. 岩棚着。

本当に良い天気です。多少春霞がかかっているのかあまり鮮明ではありませんが御嶽、中央、南アと白い峰が見えます。ずっと南に下がっていつもの位置に富士山も覗いています。

菰野の街並みも鮮明に見えます。

お釈迦さまも綺麗です。


8:20 a.m. キレット通過。


8:35 a.m. 北谷テラス着。

掘割道の中は風も当たらずお日様燦々、すっかり春です。
ドンツキから屏風岩の上を望むと、残念ながら霧氷はもう殆ど落ちてしまったようです。


8:55 a.m. 岩陵帯通過。

続いて上のテラス。


9:15 a.m. 富士見岩着。

朝陽台に向かいます。
周りの木々に付いていた霧氷は殆ど融けほんの微かに残っている程度。こりゃ絵になりません。

9:25 a.m. 朝陽台着。
やっと融け残った霧氷とご対面。

自然学校に向かいます。

看板に張り付いた氷、氷漬けの看板とでも言うべきか。


9:35 a.m. 自然学校前の日溜りで小休止、及び燃料補給。

暖かいですねえ。陽射しの強さはもう春です。頬の皮が突っ張ってきます。濡れた手袋から湯気が立っています。
これだから日溜りHikeは止められませんわい。
のんびり寛いだ後は遊歩道を望湖台へ。ここも暖かいです。雪が融けアスファルトが露出しています。

10:05 a.m. 望湖台着。

琵琶湖が青く鮮明に見えています。その上には湖西の山々。彦根や長岡辺りの街並みも望めます。


北に目を遣れば鈴鹿北部の山々、そして伊吹山。その右手には能郷白山。もっと右寄りの白山は残念ながら雲が湧き立ちよく見えません。
ここから記念碑広場までは雪が無くブッシュだらけ。どこでも歩きが出来ないので、趣向を変えて今日は裏道に出る事にします。
三角点まで戻りスキー場の横を通り国見峠へ。
そのスキー場、御覧の有様。これじゃあ滑れません。

ゲレンデ横から上水晶谷へ落ちるルンゼ沿いに降ります。大岩手前から国見峠へ。
久しぶりに国見岳って事も考えましたが今日はこのまま裏道を辿る事にします。もう長い事ここは歩いていませんから。
降り始めて2008年の北谷崩落を思い出しました。あの後何度かここを通り様子の変わった北谷を見ていた筈ですが、その様子をもうすっかり忘れています。そして思い出すのは現役の頃の北谷の様子。これも認知症の前触れなのでしょうかねえ。
暫く降ると前壁前の崩落地。前壁から下りて来てトカゲしていたあの大岩はどこへ行ったんでしょうねえ。

途中日当たりの良い所でお昼にします。そうそうここって北谷の大滝があった辺りじゃなかったっけ?

久しぶりにお湯を沸かしカップ麺を頂きます。のんびりポカポカひだまりはええですなあ。
腹が膨れたところでぼちぼちでっぱつ。
藤内沢出合で藤内をパチリ。そうそう冬場は日が当たらず寒いんですよねえ。見上げると中俣に氷がべったり。でも薄そう。氷と言うよりありゃベルグラですやん。

水場を越えるとすぐピョンの耳、その手前から北谷の河床に出ます。真っ白の花崗岩が累々と重なるだだっ広い河原。やはり40年近く前の緑豊かな北谷を思い浮かべてしまいます。
北谷の流れはピョンの耳の真下を流れておりそこには木の橋が架かっていました。橋を渡ると直ぐ花崗岩と砂で平らになった広場があり【兎の耳の天場】と呼ばれていました。藤内へアプローチが短いので遠方から来た人達はここをベースに藤内へ通っていたようです。
その広場の突き当りで道は左へ折れ、木の枝や根に掴まり2mほどの段差を降ります。その先はまた平らな砂地が暫く続きます。樹林帯に入る頃、道はまた大きく左に曲がり、大岩をまたぎながら降って行くとその左手には枝沢の水がほとばしっています。その先は苔の付いた石と黒い山土のなだらかな降りとなります。その途中、右手(南側)に上る枝道がありその先には【天狗の踊り場】と呼ばれる巨岩が折り重なった広い場所がありました。中には遭難碑のプレートが打ち付けられた巨岩もあり、その奥はキレット沢に続いていました。この巨岩群はキレットからのデブリだったのでしょう。
裏道をそのまま降れば樹林帯の中をくねくねと曲がりながら藤内小屋のすぐ裏手に降り立つのでした。
裏道はここで右に曲がり藤内小屋の倉庫を左に、右には石垣で一段高くなった小屋裏の空き地を見ながら小屋の正面へと続きます。右に曲がらず正面に進むと不動沢への道となっており、北谷本流へ降るようになっていました。この辺りの流れはかなり幅が広がり緩やかな流れの中に平らな石が並べられその上を歩いて北谷左岸へと渡ります。丁度不動沢出合がすぐ下にありその為に河原が広がっていたのかもしれません。大木の枝が流れの上に覆い被さりその緑が流れに映り、木漏れ日に輝く流れを渡るのはとても気分の良いものでした。
左岸に移った所のすぐ右手には不動沢の流れを挟んで愛知岳連の北谷小屋が見えます。この辺りも天場となっており、前夜発で来る人達には翌日に備えての宴会場となったものです。
とまあ大昔の話をした訳ですが、これも認知症のtanuoさんの戯言とお聞き流しください。それに今の方があちこち迂回しながら歩かなくても良いので時間は稼げるでしょう。

藤内小屋を越え中道への分岐も越えて行きます。今日はこのままスカイラインまで降ります。閉鎖中でもあるのでスカイラインを駐車場まで登り返します。
四の渡しの橋を渡り道から外れ河原を行きます。あれっ、看板が七の渡しに変わっている!
河原の中に一本のタラの木。生きてるのか死んでるのか? 真っ直ぐ立ってるから生きてるのかな? しかしまあこんな所によく生えたもんです。大水が出たら流されちゃいます。しかしこの大きさ、数年は経っているのでしょう。さすがに逞しいとしか言いようがありません。

そしてこの沢、日向小屋の直ぐ上流側で北谷に出合っており、嘗てはこんな険悪な沢ではなくもっと緩やかな流れでした。登りではその流れを越えると直ぐ右手奥にだだっ広い天場がありその先から泥濘地が四の渡しまで続いていました。

またまたこんな昔話、いよいよtanuoさん認知症ですな。
その日向小屋、今ではこんな立派なものに建て替わっています。

この先も昔を偲びながら行きます。
大堰堤からは右岸に付けられたコンクリート道。これも大堰堤建設の為に造られた道です。昔は蒼滝橋のたもと右岸側から北谷に降り、湯の山から来る裏道に合流し川沿いに上っていました。この辺りは滝と淵が連続し夏場のお稽古の後はここで水浴びしてから帰ったものです。
大堰堤の所には角材を束ねた幅30cmほどの橋が架かっておりそれを渡って左岸に移っていました。その先は左岸の崖に鉄製の桟道が架けられており菰野山岳会の小屋の下まで続いていました。日向小屋を過ぎてからすぐ流れの傍を通りますが狭く滑り易かったのを覚えています。
こうしてみると昔の道ってあちこち危険がいっぱいだったんだなあと思います。それと比べると今の道って本当に安全になりました。安全に越した事はありませんが、ハードルが低くなった分気持ちの上でも安易に考えるようになり、それが事故を誘発しているのかもしれません。

スカイラインを駐車場まで戻ります。高度的に低いのと風が無いのとで汗ばんできます。日に焼かれ相変わらず顔の皮が突っ張っています。

12:50 駐車場着。
山頂部の霧氷は完全に消えてしまいました。

片付けを済ませ湯の山へ。涙橋下の温泉協会で温泉チケットを調達。今日はまたグリーンホテルかな。温泉街の旅館より庭も温泉も広いので最も寛げます。


2016年02月26日17時45分00秒 記



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